まだ地上波ラジオが最大のマスコミだった頃、ラジオのアナウンサーはリスナーへの呼びかけとして
「国民の皆様!」と言っていた。

実際TVも普及しておらず大多数の国民がラジオに耳を傾けていたのだからその呼びかけは至極自然なものだ。
それから少しずつTVが普及し始めると、ラジオはその力を失っていき「国民の皆様!」から「聴取者の皆様!」そして「リスナーの皆様!」へと呼びかけは変わっていった。

そして伝説の深夜ラジオ「パック・イン・ミュージック」の「ナッチャコパック」の野沢那智はリスナーに向かって「君!」と呼びかけた。

ラジオがマスからパーソナルになった瞬間である。

ラジオの前のリスナーとの関係を一対一にした深夜ラジオのブームはすさまじく、深夜の寒い部屋の中でDJの会話をまるで友人との会話のように楽しむ学生は何十円かのハガキに自分の思いのたけを込めた。
(ラジオ関係者のあいだでは深夜ラジオが力を失った原因のひとつにファックスとメールをあげる人も多い。)もちろん、この頃TVには絶対に出なかったフォークシンガーがこぞってラジオのDJをしていたというのも大きい。
自分達より少しだけ大人のDJ達は学生達の知らない外国の音楽を紹介してくれた。言うなれば異文化のバイヤー達なのだ。そんな大人が(普段は大人に相手してもらえない時代)自分達の目線に降りてきてくれて自分ひとりに話しかけてくれる。これがブームにならないわけがない。

しかし今や大人が子供に気をつかう変な時代。

わざわざ尻尾を振らなくても馬鹿な大人は子供の目線で話してくれる。

こちらが近づかなくても友達だと尻尾を振って近寄ってくるのが現代の大人だ。

「大人の世界を垣間見る。」

これが深夜ラジオの最大の武器だった。

この武器を大人が自ら放棄した事により深夜ラジオは急速に力を失う。

最後まで大人の牙城を守っていたのはビートたけしだった。

「オマエラのためにやってるんじゃねえよ。」

今、こんな台詞が言えるDJが何人いるだろう。

ラジオはパーソナルな代物だ。

だからこそ「オマエラ。」の先にあるリスナーという人種をよく理解しておかないとラジオはますます力を失う。

もう大人だというだけでリスナーは耳を傾けてはくれない。最大公約数的な放送は深夜ラジオでは成功しない。そういうラジオが通用するのは朝から昼までの時間だけだ。
ある種のリスナーには選民意識というものがある。そういうリスナーの心をくすぐって最も成功したラジオが「サイキック青年団」である。
「君ら!」   「君!」ではなく「君ら!」
選ばれたリスナー達というプライドをくすぐる呼びかけ。だからサイキッカーと呼ばれるリスナー達は横の結びつきも強かった。

人気のあるラジオは必ずと言っていいほど、共通点のあるリスナーが集まっている。
それは性格でもいいし、趣味でもいいし、何でもいい。
それを意識して番組を作れば大小の差はあるが人気のあるラジオは出来る。
ラジオはパーソナルだが、今のリスナーは自分一人の為の番組をしてくれなどとは思ってはいない。

今のリスナーはある種のカテゴリー分けをして欲しいのである。


選ばれたいのだ、彼らは。